fujitmi’s blog~地球を抱く〜

こんにちは、藤堂ゆきおです。普段はなろうとカクヨムさんで小説書いてます。興味ある事を書くだけの日記。

素直に伝える勇気

先日、胃腸を悪くしてちょっとした病気になってしまいそのお陰もあって自己分析する機会に恵まれました。

 

素直じゃない自分の方が、楽だから相手に素直になれないような気がしています。

素直に伝える事はある意味、甘えや弱さをさらけ出す事だから凄く勇気のいる事。

 

だけど素直に伝えなかった事を、何秒か何分か先に後悔するかもしれない。

そう考えてみたら、少しだけ勇気を出して素直な気持ちを伝えてみて下さい。

 

完璧じゃない日には何もかも完璧にしようとしない

うまくいかない事があるとついつい全部が悪い方に行くように思える。

 

でもきっと、うまくいかない事を取り返そうと必至で、返って完璧を目指そうとするから普通のことでも、あれ……って思うのかもしれない。

 

今日みたいな日は、完璧じゃなくていい。歪んだ形でも全部受け入れて愛そう。

沈んだ曲でも聴きながらお湯に浸りましょう。

 

 

音を奏でるように筆が進む。

最近何かと吹っ切れたので鍵盤を弾くように筆が進みます。

 

カクヨムさんの連載もきちんと更新が出来そうです。

長く募る夜を遮るようなに太陽が顔を覗かせていた、早朝のドライブみたいに爽やかな心持ちです。

 

そんな夜がまた来たとしても、吸収、感謝、自分と向き合う事、与える事、些細な事とじっくり付き合う事、学ぶ事、大切にしたいです。

なので今は海へと飛ばしていこう。

白んだ景色が優しく迎えてくれるような気がしているから。

 

愛が遠ざかっているのか、愛を遠ざけているのか。

いつの間にか雨がやんでいた。

 

愛に飢えてるように思えて、孤独と踊ってみたりはしたけれど実は愛を遠ざけているのは自分なのかもしれない。

与えるのも、受け取り上手にもなれなかった。

というよりも理解が出来ず自信もなかった。

 

愛はそこら辺に転がっていて、自分の愛を欲しがってくれる存在もどこかにいるのだろうな。

与える立場に立ってみたりはしたけれど、確かに愛され上手な人は受け取り方が上手い。

それから自然に愛を与えるのも上手。

 

ある種、ひねくれた心を丸くするというのは難しいものだから、愛も学ばなければならないのかもしれない。

だけど自分みたいな人間は、多分沢山いるだろうけど、脳の変換の問題で上手く愛を受け取れない場合、理解が先に及ぶ愛があってもいいのじゃないか、とも思っている。

 

相方には、理解されないけどね(笑)これって皮肉。

失敗は成功の素。ありのままで生きる為には。

私達はいつだって等身大でしか生きられない。背伸びしてもそれは本来の自分ではなく、いつかは無理が来てしまう。

 

だからこそ今の等身大の自分を大切に、出来るだけの事をやればいいのです。

ダサい所や格好悪い所もいつかは、素敵な花を咲かせる為の肥やしになる。

だから失敗をしたら、また前を向いて歩くのが丁度いい。

もしも転んでも、太陽は微笑みかけている。雨の日は滴が寄り添ってくれる。

何もない日はきっとない。

 

失敗した日々を宝物に、全部愛せる等身大の自分で生きていこう。

 

ネガティブに表現するよりポジティブに表現した方が有益

会話においてネガティブな表現をしがちだけれど、あまりそういうのは良くないなと最近は思い始めました。

物事には二面性どころか多面性があり、人一人に多くの面が存在しています。

例えばすぐ怒る人には、情熱的だねとも言える。

へりくだってる人には、謙虚でいいねとも言える。

無口な人には、物事をよく考えて慎重だねとも言える。

 

明るい面に焦点を当てて見るか、影の部分に焦点を当てて見るかで大分違う。

一面だけを見て決めつける人間にはならずに、よく見る事は大事だと思います。見る、というよりは見極める、ですかね。

とはいえ好き嫌いはもっていいと思います。全部見てから好きか嫌いかを考えると、人間関係が少し楽しく思えてきますから。

 

フランク・シナトラのᎢhat's lifeを聴いていたら無性にバーボンが飲みたくなりました。そして流れるようにPianoᎷanを聴きました。

強烈な苦味ばかり感じる中に甘い風味を纏っているアルコールが舌に転がると、人生を飲み込んでいる気がして気分がよかったです。それに音楽が加わるとその年代の風味が加わるような感じがします。

そんな数分間だけは俗世忘れて、人生に恋い焦がれたっていいでしょう。

 

体にアルコールが残っているうちは世界が僕の恋人になって、抱擁している気分になれます。

 

 

暴力と調和

 

どこからか、いつからか、世界がおかしなものに見えてしまった時に調和を求める材料として、「暴力」という甘くて刺激の強い飴を求めるようになったのでした。

 

暴力の蜜を一旦知ると、それが無ければきしきしと胸の不安に打たれて止まない。

寝ても覚めても暴力について考えていた。

 

優しさは返って毒だった。喉を掻き毟りたくなる思いがする。貴方は笑っていたが、私は貴方の怒った顔を見たかった。

 

人間が怒りに包まれると可愛いと思う。いつも彼等は人の振りをして獣の本性を隠しているのに、怒りを見せる時だけは本当の自分を晒すからだ。

そうして私は貴方を怒らせてしまいには沢山殴らせて、手酷く傷をつけてしまうのだ。

これを純愛と呼ばずして何と呼ぼう。

 

また調和を求めて探し惑う。

服を纏った獣達の間を歩こう。呼吸を止めてくれるのを待ちながら。