もしも世界が絵画ならば。死んだ父へ
80年代のROCKをこよなく愛していた父が死んで、幾月が経った。墓に立て掛けられた位牌には、音楽にまつわる字が一字入れられる程。
つい先程、ヴァン・ヘイレンのDreamsを聴いて父の事を思い出し、筆を取ろうと思いたった。
無口で感情を露にしない父は会社では仏と呼ばれていた。そんな父は50半ばで、汚名を着せられた為に会社を辞めてしまった。真相は分からないが、身内を信じたくなるのが常。特に父親ならば尚更。ただ、昔から酒に飲まれては、店を出禁になったり、仮病を使っては会社を休んでいたりもしたから、父の信頼は周囲に無かったのかもしれない。そんな訳で、母と父は仲が悪かった。
けれども私は、父の事が好きだった。父は孤独を愛していたが、弱かったのだ。私はそんな父の弱さが好きだった。
早朝から大音量で永ちゃんや、長渕剛を流してギターを弾く。母はそんな父を嫌い、私はそんな父のようになりたいと思い、学生の頃にバンドを組んでボーカルをしていた。父の好きなROCKの円盤をひたすら聴いては歌った記憶がある。
ようやく、人生が生きづらい事を理解し始めた時、背筋を伸ばして立ったその先には父はいない。父が自殺未遂をした時に、私は母にフォローをした。「今日だけは優しくしてあげて」
最期に近づくにつれ、父は何も食べずに酒だけを飲んだ。父は自分で死を選んだのではないかと思う。安らかな寝顔を見て、どのような世界を見てきたのか頭の中を覗きたい気持ちと、父だけの世界を侵したくない気持ちの両方が芽ばえた。どうかあの世では美しい景色の中で、ギターをかき鳴らして欲しい。そこでは何もかもが自由だから。
もしも世界が絵画ならば、白黒だろうが色彩豊かだろうが、自分の好みに色を付けられる筈。
自分が望むのならば、淀んだ川にさえも、朗らかな色が添えられるに違いない。私はそう信じたい。
藤堂 ゆきお